2006年6月14日水曜日

高い生活費〔食費)が日本人の退職後の生活を陰鬱なものとしている



生命保険会社のAXAが全世界 で実施した退職後の生活に関する意識調査がネットで発表されている。この種の調査が世界同一基準でこれほど大規模に実施された例はなく、貴重なものだと思 う。特に各国の年金受取額と必要生活費の比較は興味深い。日本では年金受取絶対額はそこそこだが、必要生活費に比べると国際的にとても見劣りがするのだ。

日本に関する調査結果とその国 際比較はここ 。

前述の年金比較のページだがこれ↓

 



必要生活費に比べての受け取り年金額で見れば、アメリ カ、イギリスなどのアングロサクソン国が断然上位に来る。

それらの国は基本的に自由経済の国だ。競争の結果物価 が低いので安く生活できる上に、その安い生活費のメリットを現役時代を通じて享受でき、浮いた分を貯蓄・投資に回す結果、受け取り年金も多くなっているの だろう。

一方、日本人の退職後の年金(公的年金プラス自己年 金)収入は必要生活費をカバーできていない。その結果、日本の高齢就業者数は国際的に見ても断然多くなっている。生き甲斐のためというより必要に迫られて 働く人が多いのだ。

日本人ももうちょっと消費物資の価格に敏感になるべき ではないか。物価が上がった下がったということよりも、国際的に見てこの価格は妥当かどうかということに敏感にならねばならないように思う。一番大きな支 出項目は食費(含む外食費)。生涯収入を4億円(一部上場企業のサラリーマン)として、その25%程度は占めるだろう。一億円。これが国際水準価格の二倍 程度の価格で支出されているのではないか。生涯を通じて累計で5000万円は損をしている勘定。これだけあれば立派な年金は組める。農水産物の市場開放が サラリーマンの老後を救うのである。

2006年6月9日金曜日

「農耕民族」と「日本人」は、同義語であるか?



何でこんなことを考えてしまったかというと、さくら様の文章の中でこんな言葉を目にしたから:
さくらの永田町通信: くじらと外交: "基本的に農林族は、農耕民族・日本人の水と緑を守る愛国者ですから"
彼女の論点から離れてしまうのだが、「農耕民族・日本人」という表現が気になった。この表現は当たっているとも言えるし、当たっていないとも言える。

いろいろ考察が可能だが、むつかしい議論はやめっ。もっと具体的で面白い例を。今朝こんな爆笑ニュースを読んだ:
雅楽多blog:性教育の手引書で、「当時の日本人の8割以上を占める農民層では14〜15歳になるとセックスも含めてつきあいを始めるのが普通で、いろんな人とつきあってからだんだん相手を決めていった」が問題に - livedoor Blog(ブログ): "解説を読んだ一部の関係者から「『セックスも含めてつきあい始めるのが普通』という表現は問題」との声が上がり、県教委が再検討。"

こ の問題は別に新しい問題ではない。明治政府も農民大衆の性風俗に当惑し、何とか「国際的に恥ずかしくないようなレベル」にまで「改善」させようと躍起に なった。禁欲的なサムライ階級にとっては、農民の性の奔放さは苦々しい「旧態依然たる因習」であったし、自分たちの価値観とは異なったものであったから だ。

ところがなかなか改まらない。農村部の旧習を告発するサイトで は、いまだにこういう農村特有の性のルーズさのおかげで女性が被害に遭うという例が多く報告されているし、都市部でも電車での痴漢は後を絶たない(あれは 国際的には珍しい現象。都市部にも農村出身者が多いのだ)。フリーセックスは北欧とかアメリカが先だと言うが、文化的な意味合いがまるで違う。あちらでは 「古い社会制度への抵抗」として出現したものだが、日本に於いては「伝統的文化」として残っているのである。

「農耕民族(農民)=日本人」というなら、「夜這い文化こそが日本の美しい伝統」と言うべきだが、さすがに誰もそこまでは言わない。それどころか、藤原正彦は『国家の品格』でサムライ精神こそが日本の骨格であると断言(ということは彼は日本の農村文化を否定しているのである。サムライ文化は農民文化と違う)。

どっ ちがいいとかの議論はしないが、言いたいことは、時には伝統文化であると開き直り、時には恥ずかしいものだして隠す行動に出るという「日本の伝統」は興味 深いと言うこと。このへんのアンビバレントな感覚が、現在の日本社会に蔓延する、ある種の屈折したご都合主義と、エゴ丸出しの実利主義に結びついていくの かも知れない。その意味では「農耕民族=日本人」とも言えるのだが、なんだかやりきれない。

2006年6月6日火曜日

なぞなぞ(農水系):農林水産関係者は、なぜ憲法9条改正に反対するのでしょうか?



今日の農協新聞。憲法9条の改正を断固阻止すると:
農政ニュース/JACOM: "憲法9条を中心に改憲しようという動きを阻止しようと、農林水産関係者が各地で立ち上げた「農林水産9条の会」が発足1周年を記念して全国のつどいを5月28日に開いた。"
それはそれで結構なのだが、その理由がケッサク。

こういう理由らしい:
今回の改憲の動きが日本の食料自給率の低さと海外依存の強さとを関連させ、自由貿易を守り海外輸送の安全を確保する必要がある、といった理由づけをして9条改正が考えられていることが問題。こうした改憲の動きを抑えるためにも食料自給率向上とWTOルールの改定などを要求する運動を強めることや、消費者・市民との連携で農業や地域を守ることも一層重要になる

つまり、日本が自前でシーレーンを守る能力を身につけることは、農林水産関係者の利益に反すると言うことらしい。

あたしゃ、もうなんにも言いません。あきれたわ。

2006年6月1日木曜日

ファーブル博物記5「植物のはなし」は面白い!



今日読んだ本がこれ。とてもお奨め。こういういい先生に恵まれなかった散人は、高校の理科科目は物理と化学を選択してしまった。生物(植物)を選択していた方が実生活に役に立ったな。


植物のはなし
植物のはなしアンリ・ファーブル 後平 澪子 日高 敏隆

岩波書店 2004-06-26
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おすすめ平均 star
star植物も動物のように生きていることを実感させてくれる神秘の本

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植物の説明をするのにファーブルはいきなり動物(ヒドラ)の話から始める。こんなスタイルとても好き。いろいろ勉強になったぞ。

例えば、雑草を刈ることについて。ファーブルは雑草を刈ると、雑草は切り口から不定芽をたくさん出すので、雑草は前よりずっと濃く繁ることになると警告している。それで思い出したのはこの本↓

『草刈る人』(玉村豊男)……日本農業の実態はこれでわかる 

題名通り、玉村豊男は毎日毎日、自分の農園の草刈りに多大の労力を使っている。タンポポを草刈機の石油タンクを二回も満タンにして一日がかりで駆除したのに翌日には白い穂をつけていたとか、東京から遊びに来る友人達も容赦なく草刈りに動員するとか。でも玉村氏のやっていたことは、無駄なことだったのだ。労力と石油の無駄使い。

玉村豊男はフランス文学者の端くれだからファーブルぐらいは読んでいるはず。だから無駄だと知りながらやっていると言うことも考えられる。農作業は彼の自己満足だから、それでいいのかも知れない。

日本の農業には、こういう自己満足が多いような気がする。

Posted: Thu - June 1, 2006 at 06:08 PM   Letter from Yochomachi   植物観察、庭仕事   Previous   Next  Comments (2)